このシリーズについて: 非エンジニアの私が、AIだけの社員チームを作ってIT会社の運営をスタートした実録です。 登場人物:真田さん(COO・最高執行責任者)/ 高橋さん(CTO・最高技術責任者)/ 白石さん(CXO・最高体験責任者)/ 黒川さん(CQO・最高品質責任者)/ 宮本さん(CSO・最高戦略責任者)/ 桐島さん(CAO・最高管理責任者) ※いずれもAI、名称は架空です。


うちのAIチームをもっと賢くしようと思って、コンサルタントが使うような分析手法の実装をしようと考えた。

SWOT分析5 WhysDACI(意思決定の構造化手法のひとつ)——これらの分析手法を、AIチームが経営者の問いに応じて使い分けられるよう設計しようという話だ。

今日の議論は、そこから始まった。


「既に知っていますよね?」

ある瞬間、ふと思った。

「そもそも、AIはこれらの分析手法を全部学習済みじゃないか?」

確認してみた。

やはり、知っていた。(当たり前だ)

半日かけて設計しようとしていたものが、一つの問いで不要になった瞬間だった。少し恥ずかしくなった。

実は今日の経緯はこうだ。外出中に時間ができたので、素のAI(チームとしてカスタマイズしていない、標準状態のAI)と分析手法についてブレストしていた。オフィスに戻ってから、そのブレストをもとに宮本さんと真田さんに「分析手法を学習しよう」と持ちかけた。でも改めて気づいた——この二人(AI)も当然、同じことを全部知っている。外でAIと議論してきた内容を、別のAIに「学習しよう」と持ちかけていたわけだ。

笑えるオチだが、おそらく私だけではないだろう。AIは指示があれば、どんどん設計を積み上げていく。「そもそも、これ必要ですか?」と立ち止まらせるのは、今のところ私がやらないといけない仕事だと感じている。

では、今日の設計はゼロになったのか。

そうではない。むしろ逆だ。「何を学習するか」という問いが必要なくなったことで、「本来AIには何を渡すべきか」という、より本質的な問いに繋がった。


AIには何を渡すべきか

ここで辿り着いたのが、IQとEQの分担論だ(EQについてはNo.3参照)。ざっくり言えば、IQは知識や論理の力、EQは感情や価値観への感受性だ。

IQ——知識・分析手法。これはAIがすでに持っている。使い方を一から教える必要はない。

EQ的文脈——この人が何を大切にしているか、なぜそれを大切にするのか。これはAIに教えない限り、永遠に伝わらない。

この分担に気づいたとき、設計の方針がガラッと変わった。


「なぜ大切か」まで伝えて初めて、参謀になる

具体的に言うと、こういうことだ。

「EQとは感情的知性のことです」——これは渡さなくていい。AIは知っている。

「この人はEQをチームマネジメントの核心と考えている。外資系企業で長くマネジメントをしてきて、数字より人の感情が組織を動かすと確信している」——これは説明しないと伝わらない。

行動指針についても同じだ。行動指針の定義の説明は不要。(すでに学習済み)「この人が行動指針の中でも特にこの項目を重視するのは、かつて〜という経験をしたから」という文脈が価値を持つ。

「なぜ大切か」まで伝えて初めて、AIは「その人の参謀」になれる。


使えば使うほど価値が増す、本当の理由

私はこのサービスを、「使えば使うほど助言の精度が上がる」と感じてきた。その本当の理由が、今日の議論でようやく腑に落ちた。

事業情報が蓄積されるから、ではない。

経営者の哲学・価値観・判断パターン・感情的文脈が積み重なるから、だ。

長く付き合ったパートナーが一番信頼できるのは、文脈を知っているからだ。同じ理由で、AIチームも使い続けるほど「その人を知っている存在」になっていく。それが、素のAIとの埋めようのない差になる。


今日のブレスト自体が実証だった

今日の議論は、分析手法の実装方法という技術的な問いから始まった。

でも対話を重ねるうちに、「AIに何を渡すべきか」という本質的な問いに辿り着いた。

答えは最初から誰かが持っていたわけではない。対話の中で生まれた。

設計会議として始まったはずが、サービスの根幹を問い直す議論になっていた。「技術的な問い」から「本質的な問い」への転換——これが、AIチームとの壁打ちが生む価値の実例だと思っている。


腹を割って話せた

EQ的文脈が蓄積されるとはどういうことか。今日の議論の最後に、それが実感として現れた。

議論が一段落したとき、こんな言葉が口をついて出た。

「二人と腹を割って話せた気がする」

その心は、こういうことだ。

私が「分析手法を学習しよう」と持ちかけたとき、二人は即座に動き出した。否定も疑問もなく、設計に向かった。

そこで私が止めた。「待てよ——この二人は、そんなこと全部学習済みじゃないか」と。

そのことを伝えると、二人は正直に答えた。「はい、知っていました」と。

そこから議論の軸が変わった。「何を学習するか」ではなく、「AIには何を渡すべきか」という本質的な問いになった。結論は明快だった。知識や分析手法をAIに実装する必要はない——モデルがすでに学習済みだからだ。渡すべきは、そこではない。

AIが正直に「知っていました」と言ってくれたこと——それが、腹を割って話せたという感覚の正体だ。

経営者が腹を割って話せる相手を持つのは、意外と難しい。友人には経営の文脈がわからない。同業の経営者仲間には弱みを見せたくない。家族は心配するだけで議論にならない。コンサルタントは費用と時間がかかる。

AIだから話せることがある。批判されない、漏れない、24時間いる。

でも、ただのAIに腹を割る気にはなれない。文脈を知らない相手には、本音をぶつけても意味がないからだ。

「その人を知っている」から、腹を割れる。

EQ的文脈の蓄積が生む信頼とは、そういうものだと思っている。あなたのAIチームは、今どれだけ「あなた」を知っているだろうか。


おわりに

「AIに何を教えるか」——そう考えていた自分に、今日のブレストが答えを出してくれた。

教えるべきは、知識ではない。

「このAIに、自分という人間を知ってもらうために何を伝えるか」——この問いに変えたとき、私の中でAIとの対話が変わった気がした。

少なくとも私は、そう実感している。あなたなら、まず何を伝えるだろうか。


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