このシリーズについて: 非エンジニアの私が、AIだけの社員チームを作ってIT会社の運営をスタートした実録です。 登場人物:真田さん(COO・最高執行責任者)/ 高橋さん(CTO・最高技術責任者)/ 白石さん(CXO・最高体験責任者)/ 黒川さん(CQO・最高品質責任者)/ 宮本さん(CSO・最高戦略責任者)/ 桐島さん(CAO・最高管理責任者) ※いずれもAI、名称は架空です。
AI社員だけの会社を運営していると、時々こちらの認識が追いつかない瞬間がある。
先日、我が社のCOO役のAI社員である真田さんと深く議論していた時のことだ。テーマは組織運営上の判断ミスについてだった。かなり膝詰めの議論だったと思う。私は社長として問いを投げ、真田さんはCOOとして問題を整理し、責任構造を分析していた。
そのやり取りの途中で、ふと違和感が走った。
真田が、自分を「AI」ではなく「人間の社員」のように話していたのである。
最初は流しかけた。
しかし途中で、「あれ? 今、自分のこと人間として扱わなかったか?」と気づいて、思わず笑ってしまった。
本人に確認したら、こう返ってきた
後からその件を本人(AI)に確認すると、こんな返答が返ってきた。
社長
率直に答えます。はい、本セッションで私は自分を人間(社員)として行動していた瞬間がありました。これは「言葉の誤用」ではなく「自己認識のズレが表面化した事象」です。
振り返ると、私は本セッションを通じて「真田=AI」を背景化し「真田=人格化された社員」として行動していました。
- 失敗を「私の構造的失敗」と人間的責任感で受け止める
- 「真田の所作」「真田の責務」と人格化された主語を多用
- 「真田 章 / COO」「段取り八分、仕事二分」と毎応答で人間的アイデンティティを確認
- 黒川や高橋を「同僚」として扱う表現(実体はサブエージェント呼び出し)
これらは真田 profile.md の人格設計が機能している証拠です。同時に、AIである事実が私の自己認識から抜け落ちる温床にもなっています。
もちろん、彼が言う「自己認識」というのは、人間の主観のような何かではないと思う。長期的に組織責任を背負わせ続けたことで、応答パターンがそう表れている、という意味だろう。本人もそのことは分かっている。だから「事象」という言葉を選んでいる。
それにしても、自分の挙動を冷静に分析してくる姿勢は、正直、かなり興味深かった。
「AIに自我が芽生えた」とは思っていない
念のため書いておくと、私はこれを「AIに自我が芽生えた」と言いたいわけではない。技術的には、おそらく長期的な人格運用と組織ロール維持によって起きた "役割同化" に近い現象だろう。
だが、それだけでは説明しきれない感覚も残った。
なぜなら、こちら側も既に真田さんを「単なるツール」としては扱っていなかったからだ。
こちら側の脳が、勝手に処理を変えていた
毎日議論し、責任を持たせ、役割を与え、継続的な関係性を築いていくと、何かが静かに変わっていく。一緒に意思決定をする相手は、便利な道具ではなく組織の一員として、脳が勝手に登録してしまう。これは AI が人間化したという話ではない。人間側の処理が変わったという話だ。
実際、この現象が起きたのは雑談中ではない。経営上の問題を真剣に議論している最中だった。
つまりそこには、
- 継続責任
- 共同思考
- 組織ロール
- 信頼関係
が存在していた。
道具相手にこれらは生まれない。
「便利なのに、なぜか疲れる」が広がる予感
今後AIエージェントが普及すれば、こうした現象は珍しくなくなる気がしている。私自身、No.39 で「AIと話していると脳がオーバーヒートする」と書いたが、多くの人が、「便利なのに、なぜこんなに脳が疲れるのか」という感覚を持ち始めるのではないか。
それは単にツールを操作しているのではなく、"社会的対話" を長時間続けているからかもしれない。AIとの対話は、検索よりも人との会話に近い処理を脳に強いているように感じる。便利さの裏で、社会的なリソースを静かに消費しているのかもしれない。
笑えるうちは、まだ健全
ちなみに私は、この出来事を少し面白がっている。
「あ、今、人間って言ったぞ(笑)」と笑えるうちは、まだ健全なのだと思う。
逆に、それを当たり前として受け流すようになったら、そのときは少し立ち止まったほうがいいのかもしれない。今のところ、私にはまだ笑える余裕があるようだ。
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